私どもは、5月になって、浅草の三社祭から、かき氷を口にする。そして、 子供ごころにも、「ああ・・・・もうじき夏休みがくる」と、うれしさを押さえ かねた顔つきになってしまう。 夏の夕空にはコウモリが飛び交い、微風に風鈴が鳴り、蚊やりのけむりの香ばしい匂いがして、寝るときには青い蚊帳かやを釣った。
「もう四ツ半くらいかしら、秋ちゃん」と女主人が言った。 「ごらんな、蛍があんなに固まって飛んでるでしょ」お秋は外へ出た。 向こうの灯りを消している「油屋」の庇(ひさし)のところに、蛍が群がり集まって、青白い光を明滅させながら、右へ左へと揺れ、あがったり、さがったりしながら、一団となって飛び狂っていた。「まあ、きれいだ」とお秋が言った。 西は洲崎弁天の広い境内、北は道を越した向うが木場で、東は芦原や沼や蓮池などの続く荒地、そうして南は二段ばかり芦原があって、そのさきが海になっている。 その晩,村次は蛍篭を持ってお秋の部屋へ来た。 「不動さまの縁日でね、子供のときを思い出してつい買っちまったよ」。 「いやな人ねえ」とお秋は蛍篭を受け取りながら言った。「蛍なんてこっちには売るほどいるじゃないの」。「五疋いるな」と彼は言った。「朝夕三度くらい水を吹っかけてやるんだよ」。
あくる晩、お秋は、ふと窓のほうを見、そっちへいって(庇に吊ってある)蛍篭を取り外した。 「水をやるのを忘れてたわ。まだ生きてるわ、可哀そうに」。 「放してやれよ」と藤吉が言った。「そうね」とお秋が言った。「放してやりましょう」。お秋は篭に張ってある蚊屋を破り、中にいる蛍を生垣の上へ振り落した。
蛍は五疋いたが、 樒 しきみ の葉の上に落ちると、二疋だけ息づくように光り、あと三疋は地面にこぼれ落ちたまま、うす青くほのかに光りながら、しかし動くようすはなかった。「どうしたんだ」と藤吉が言った。 「いま放してやったら、生きていたのは二疋だけだったわ。あら! その一疋がいま飛んだわ。水のあるところがわかるのねえ、川のほうへ飛んでいってよ」。 お秋は、そう言って膳のほうへ来た。
江戸時代から明治時代にかけて、ホタルの名所としては、高田落合、関口の滝、 王子石神井川、谷中宗林寺があげられ、千鳥ヶ淵あたりにもホタルが舞っていたようです。 大正時代になると、目黒、麻布、広尾へと生息地が後退し、 昭和10年(1935)には、山手線の内側は絶滅してしまいました。 昭和25年(1950)には、中野鷺の宮、杉並高井戸、世田谷鎌田まで後退し、 昭和30年(1955)には、23区から完全に姿を消して、府中、小金井、立川 へと更に後退。 今では多摩川上流域及び奥多摩地方で僅かに見られる程度です。